じっくり温めていく気概
先日2週間くらいかけて作ってた曲をボツにしました。
うまくいかない原因は、おそらくアレンジ前。
作曲段階で「いいな」「好きだな」と思ってアレンジに進めたんですが、そこで聖霊を感じるくらいの恵みがあったかどうかをしっかり確認せず「大丈夫だろう」と思って進めていました。
で、アレンジで曲を飾りつけると、ショボいメロディーでもそれなりに良く聴こえてしまいます。
でもそれなりレベルなので、恵みを感じるレベルまで行かず。
いくらやっても元がそれなりだからか、いろいろと飾りつけてもなんか納得いかず。
雰囲気は良くてもグッと来ない。
で、2週間もかけたものだから「なんとか仕上げたい・・・」って思いが強くなりますが、どう頑張っても恵みが感じられないものにしかならないので「ボツにするかあ・・・」と。
「なんか馬鹿らしいことしてるな」
そう思うと同時に心が楽になり、それが重荷になってたことにも気付きました。
「仕上げたい」という余計なこだわりを抱えてしまってたんだなと。
「どうでもいいことに何をこだわってたんだろう」と。
で、「2週間もかけると捨てにくくなるのは当然だな」と思ったので、作曲段階でめちゃくちゃいいなと思えるものにできるまでは、アレンジに進めないようにしてみようと思いました。
そうしたら毎日捨てるのも苦じゃないだろうと。
実際そういう作り方をしてる人もいるし、そうしたほうがいいんだろなと思いつつ、ついつい「早く次に進めたい」という思いが湧いて来て、我慢できずにアレンジに進めちゃう自分がいました。
「自分はそこらへんの忍耐力が足りないな」と。
自分の好きなチャーハン作りに例えると、
「フライパンやご飯をしっかり温めずに焼き始めるようなものだな」と思います。
それを疎かにすると焦げ付いたりご飯がベチャベチャになって、食べれなくはないけど味が落ちてしまって、せっかくの具材も活かせず。
「1分くらい待てないのかお前は」と。
だから作曲も「忍耐して曲の骨組みをしっかり作り上げるべきだな」と思いました。
信仰の4本の柱も似たものだなと感じます。
どれも疎かにしないでめんどくさがらずじっくり温めて行く気概でちゃんと立てて行かないと、何もうまく行かなかったなと。
なかなか罪を清めれず、捨てれず、実践しても思うように進まなかったり、うまく悟れずたいした証が書けなかったり。
ぼくはそのせいで2年くらい信仰から脱落してました。
今思うと結果がほしいあまり焦ってたように思います。
それでなかなかうまく行かないからとしんどくなって、挫折。
昔ギターもそうやって何度も挫折してました。
なのでじっくり温める気概で、スピードは二の次でいいやと。
そもそもじっくり丁寧に取り組んだほうが、ギターの上達も早かったなと。
いろいろ気づいたできごとでした。