RAPTブログから御言葉を学ぶことで、虚しい音楽環境から抜け出し、本当に価値のある音楽を作るために、希望を持って日々もがきながら生きられるようになった
私は23歳頃からギターをやり始めました。
昔からゲームやアニメが好きだったので、弾くのも当然それらの曲ばかり。
当時は仕事中もギターのことばかり考えていて、帰ってから何時間もギターを弾くという毎日でした。
そしてそれでは飽き足らず、ネットで仲間を探し、同じようにアニメやゲームが好きな人とバンドを組んで一緒にスタジオに入ったり、時にはライブに出たりという生活を送っていました。
そしてもっと楽しみたいと思ってセッションにも通うようになり、友人も増え、自分たちでセッションを立ち上げたりもしました。
ですが次第にしんどくなっていくのを感じるようになりました。
すべてが楽しかったわけではなく、受け入れられない面も多くありました。
音楽をやってる人はなぜかチャラい人が多く、そうでなくてもオタクゆえに偏った思考の人が多いです。
そういった面は音楽にも強く表れてて。
過剰なノリや主張の激しいアピールなどに、違和感と気持ち悪さをどこかで感じていました。
特にオタクは自分の好きなものを過剰に持ち上げるふしがあります。
それが音楽をより一層気持ち悪いものにさせてると感じます。
自分もそのような音楽をやってしまっていることに気づいて、自分に嫌気が差すようになりました。
そしてある時、吐き気がするほど気持ち悪い音楽を目の当たりにしました。
その人たちの演奏は、テーマも卑猥でひどいものでした。
歌詞も薄っぺらく、外側だけキレイに飾ったようなハリボテのような音楽でした。
そして気持ち悪い異様な空間となって、吐き気がして本当に気分が悪くなりました。
周りの人は鈍感なのか、大丈夫そうでしたが。
今考えると、それは自分の霊が悪い波長を多大に受けて、それが肉体に伝わったのだと思います。
RAPTブログでは人間には霊体があり、その霊を成長させることの重要性を解き明かされています。
俗的な音楽がどれほど悪影響なのか、その時思い知りました。
それと同時に、そんなふざけた音楽をやる人たちがいることに怒りと忌まわしさを覚えました。
「なんて低俗なんだ」と。
こんな極端な音楽はなかなかないかもしれませんが、今でも世の曲に触れる時、うんざりすることがよくあります。
主張の強い俗的な音楽は本当にうんざりします。
そんな中、弟にRAPT理論を教えてもらって御言葉も少しずつ読み始めていたのですが、
ある時RAPTさん達が東京で撮影したものを、音楽に合わせてYouTubeにアップされたものを観る機会がありました(現在はYouTubeの弾圧により、当時のアカウントが停止され見れなくなっています)
その曲と映像があまりにも素晴らしくて・・・
清さと純粋さが全面に伝わってきて、今まで味わって来たものはなんだったのかと思えるほどの感動で体が熱くなりました。
「こんな音楽を自分も作れるようになりたい」と思ったほどでした。
自分が本格的に作曲をしたいと思うようになったのは、この動画を見たことが大きいです。
今まで自分が触れてきた音楽でも感動することはたくさんありましたが、このRAPTさんたちの動画は比にならない、霞むくらいのレベルだと感じました。
世の中の曲で好きなものもたくさんあります。
が、どこか好きじゃないものが混じってたりして、そこは見て見ぬふりしながら楽しんでることがよくありました。
メロディーは良くても、恋愛やひねくれた思想の歌詞になってたり、映像が気持ち悪かったりすると残念に感じたものです。
だからゲーム音楽のような、歌詞のない想像の余地のある曲を聴いてることも多かったです。
また、曲は良くてもチャラい人が作ったりしてることを知ってがっかりすることも多かったです。
その人が出てる記事や動画などを見て、見た目や発言のチャラさによくうんざりしたものです。
だからこそRAPTさんのブログを読んだ時、清さや誠実さ、真剣さ、あまりの頭の良さに胸がすく思いでしたし感服しました。
そして東京の動画を見て、あまりの清さと純粋さが前面に感じられて感動せざるを得ませんでした。
「本当に清い人たちが芸術をやるとここまでのものになるのか」と思いました。
そして自分もそのような純粋に心から感動できる音楽が作りたいと考えるようになりました。
そして御言葉を読み進めてる中、以下の記事に出会いました。
「こんな自分でも個性を輝かせて生きれるんだ」と、希望で溢れて
「そうなれるならがんばってみよう」と思えました。
そうして御言葉に書かれてることにより一層従うようにして行きました。
それからしばらく時間はかかりましたが、以前ほどのストレスや自己嫌悪はなくなり、心からやりがいを感じられる音楽ができるようになりました。
そのように満たされてくると俗的なものに溺れることも減り、不要なこだわりもどんどんなくなっていくのを感じ、より一層心が軽くなって作曲に集中できるようにもなりました。
世の中から離れて、仕事以外の時は常に家にこもるという生活を続けていますが、さみしさは微塵もなく、むしろ煩いがなく作曲に集中できて、その分上達もできて、仲間と音楽をやってた時よりも何倍も充実感があります。
RAPTブログでは、御言葉通りに生きることで祝福を受けれると保証してくださってますが、それを少しずつ実感しています。
そしてより一層、世界で頭角を現せるようにがんばろうと思いますし、希望と確信を持って努力できます。
でも世の中で音楽をやってる人たちは、そういった希望を持つ余地がないように感じます。
みんなアーティストに憧れてはいます。
特に男の人ほど「音楽で食べていきたい」と心のどこかで思ってると思いますし、実際にそんな話を一緒にしたことも何度もあります。
でもそう言いつつ実際は、はなから無理だと諦める人が大半で。
そこそこ本気で活動してた人も、いつしか諦めて世の中の仕事にシフトして行ったり。
実際自分より遥かに上手い人たちがたくさんいましたが、そんな人でさえ同様でした。
「成功できるのは才能を持った限られた人だけ」
そんな思い込みが強くあるように感じます。
そう思うのはしょうがないことだと思います。
特に日本ではそう思うように洗脳されて来ました。
RAPT理論で暴かれたことですが、この世は上級国民しかのし上がれないようになってるからです。
どれだけ実力があっても、上級国民とコネのある人が勝つ世の中でした。
そして本当に実力のある庶民は、潰されるか取り込まれることが常でした。
でも今や状況が変わってきています。
今まで世界を牛耳ってきた中国共産党の悪事がRAPTブログによって暴かれ、裁かれることとなりました。
そして2023年に入ってからというもの、次々と中国共産党が衰退してるというニュースがこれでもかと舞い込んでます。
今まで中国共産党は世界中にスパイを送り込み、この日本もやりたい放題弾圧し暴利を貪ってきました。
それが今や衰退し力を失いつつあり、中共の主だったインフルエンサーやYouTuberも、影響力を失ってきています。
今まではどうあがいても活躍できなかった庶民が、活躍できる下地ができつつあります。
そして神様は、私たち義人が個性・才能を磨き、あらゆる分野で活躍することを望まれていますし、その実力を身につけれるように導いてくださいます。
私はこのようなことを知った時、「そんなふうに生きれたらどれだけ幸せか」と希望に溢れました。
今こうして音楽をやっていて、まだまだレベルの低さを痛感してますが、その中でも着実により良いと思える曲を作れてることが嬉しいです。
ストレスだらけな俗的な世の中から離れて、本当にやりがいを感じるものに打ち込めてること自体が喜びです。
そしてそのように、皆さんが主のために生きて、個性・才能を発揮して喜びの中生きれるようになれることを心からお祈りいたします。