苦手なことをやってみたことで感じた可能性、繊細さの重要性
自分はピアノがさして得意ではないので、作曲の際に鍵盤で弾いたフレーズをあるていど自動調整してくれる機能を使います。
発音をズレなくピッタリ合わせたり、音の強弱に差が出ないようにするものです(変に強弱がありすぎると違和感が出るので)
それを使う方が調整に時間を取られず作曲に集中できるので、ほぼ常用してます。
でも音の強弱が均一だと表現力も乏しくなりがちで
「生演奏には勝てないな」っていつも思いつつ
「でも自分はピアノ上手くないし」と思って、自動調整を使うのが常でした。
で、先日なかなかいいフレーズが作れなくて煮詰まってました。
楽器を替えても何を試してもバチッとハマったものにならず。
そこでふと「手弾きで繊細な表現をしてみよう」と思い、いつもは意識しない音の強弱を意識して弾いてみました。
そしたら粗はあれど、伴奏にハマった感じのフレーズがすんなりできたことに少し驚きです。
でも冷静に考えればやってることはごく普通のことで、演奏で録音主体の作曲をする人にとっては当たり前の話だなと。
自分は演奏に苦手意識があったせいで機械に頼る前提で、自ら幅を狭めてたように思います。
「機械で強弱を調整するより、手弾きで強弱をつけたほうが雰囲気出しやすいな」と。
(でも演奏が甘いのでやっぱり機械で調整を加えるんですが)
1つ殻を破った、可能性が広まった感じです。
「発想の幅が広まったな」と。
なのでこれからは積極的に手弾きも活用しようと思いました。
で、今回の経験で「繊細さ」って大事だと感じまして
手弾きによる繊細な表現だからこそ作れるフレーズ。
「天の文化芸術は繊細さの塊なんじゃないか」と思いました。
人間がどこまでも緻密に繊細に作られたように、天にあるあらゆるものに繊細さが溢れてるんじゃないかと感じます。
「天の文化・芸術を表現するには、繊細さが必要不可欠だ」と。
だからこそ「どこまでも繊細な表現ができるように鍛えていこう」と思い、それまではギターもピアノもさして練習してませんでしたが、意識して積極的に取り組んでいこうと思ってます。
そして表現できるものが増えるほど、それに見合った霊感・構想も与えてくださるのだと思います。
↓RAPTブログの有料記事でもこう書かれてます。
”いざ主から何らかのアイデアや構想を受けたときに、私たちがそのアイデアや構想を形にするだけの実力や能力がなければ、主は私たちにいくらアイデアや構想を与えても無駄だと判断し、何も与えてくださいません。”
○RAPT有料記事336(2018年12月17日)主から構想やアイデアを受けて実践する人は100%成功するが、主から構想やアイデアを受けるためにはひたすら祈りと実践だ。
そして主からアイデアや構想を受けられるようにただ頑張るだけではなく、自分の苦手なことに向き合うことも必要だなと感じた体験でした。
○RAPT有料記事395(2019年8月5日)大して努力もしていない人に、主は助けの手を差し伸べて下さらない。自分の限界に達するまで努力した人だけを、主は憐れに思って助けてくださる。